2019年10月12日 星期六

[沖繩]Flower Demo:如何跟「男性」結盟(2019.10.11)

 
 參加了沖繩縣廳(縣政府)前廣場舉辦的第三次Flower Demo*。主辦人鼓勵大家發言的同時,也不忘強調大家都不說話的沈默時間「silence stanging」的重要性,而現場確實可以感受到大家不是被沈默,而是自己感受到了一些事而沈默。
 
 在自發的沈默時間裡,有年輕的男生拿了麥克風。
「我雖然不曾作為加害者,也不曾受害,但曾經聽身邊的人說過這些事,我真的很生氣,不知道」他說得很激動。

 那個當下我從他的發言當中感受到某種「攻擊性」。

 當然,我希望所有人一起思考性別的事,尤其認為結構中佔居上位的異性戀男性參與其中,同時思考性別規範對他們的壓迫,社會才有可能改變;我同意年輕人有性別意識是很棒的事(其實我知道對方是高中生);我願意正面接受他話中真實的憤怒和正義感,也絲毫不覺得他需要表現出溫和理性。如果他可以意識到自己跟當事人的距離和所踩的位置並及時反應當然更好,但來到現場、思考後,把自己想法說出來,絕對不是一件壞事。
 
 然而一反上述至今為止累積的思考方式,我很單純直觀的,對此感受到一種負面情緒。當下我馬上想:我絕對不要拿起麥克風說話。我的身體感受到那裡是讓倖存者述說經驗,進而產生連帶感的地方,而不是來宣揚理念,證明自己正確的地方,而我沒有自信,我「作為男性」理性發言時能夠「不帶攻擊性」。
  
 身為非異性戀我可能可以說出比異性戀「不帶攻擊性」的意見吧,即便如此我還是會比受害女性更「具攻擊性」。這並不是單純用性別身分來分類,而是考慮各種經驗和位置所得出來的結果:一方面我因為不把女性當成性對象自認不會成為狹義性暴力的直接加害者,也就不曾仔細思考慾望跟與女性連帶的緊張關係,一方面廣義上來說因為性別氣質而被霸凌可以說是廣義的性別暴力的一環,但遭受性暴力的沈重和日常生活的不安,都不是作為順性別男性活在社會上的我,可以完全體會的。
 
 女性不只在遭受性暴力的當下,而是在日常生活中也可能隨時感受到潛在的恐懼,女性的意見比起男性容易被否定所以經常被沈默,這些雖是女性主義根據女性的經驗整理出來的「理論」,也應該可以還原到每個人日常生活片段的感受。為什麼聚餐的時候自動由男性負責開場和結束致詞(指日本),為什麼小組討論的時候明明女生人數比較多卻都是男生在講話,身為一個帶著同志和女性主義者認同的人,生活中不少時刻會意識到這些事,然而半夜一個人走在路上卻不感到害怕、以為有平等的發言機會而侃侃而談,這些沒被意識到的狀況絕對是遠多於有意識的狀況。這是結構創造的身體,可以試著改變,卻也真實存在。這樣的「男性」要如何能跟「女性」結盟、產生連帶呢?
 
*Flower Demo是聲援性暴力受害者的活動,每月11日舉辦,為期一年,從東京車站開始擴及日本各地,參加者會帶著花去會場以表達跟受害者站在一起。以沖繩的場次來說,主持和發言主要強調很多人跟妳一樣、不是妳的錯、說出來尋求協助支援和爭取權益並不可恥。
 
=====原文照登=====

フラワーデモ:「男」とどう連帯するのか
 
今回県庁前の三回目で初めて行ってきた。性被害を安心して語れる主旨が掲げられる中、主催者は発言を促しつつも、誰も話さない沈黙の時間「サイレントスタンディング」の重要性も説いた。沈黙をさせられるのではなく、何かを感じたから自ら沈黙するということなんだ、と沈黙する時間を味わいながら納得した。
 
そんな自主的な沈黙のなかで、若い男の子がマイクをとった。
「僕は加害したこともないし、被害も受けたことないが、こういう話を周りの人から聞いたことがあって…もう腹立つんすよ。意味がわからん。。。」
と、熱い思いを語った場面だった。
 
しかし自分はなんとなくそこで「攻撃性」を感じてしまった。
 
もちろん、ジェンダーのことを皆で考えてほしい、むしろいわゆる優位に立つヘテロ男性(と今の構造下で彼らにとって辛い部分)を含む皆で考えないと変わらないし、若者が問題意識を持って思考することはいいことだし、また、その言葉にできない怒り自体やそこに潜む正義感を真剣に受け止めたいし、別に柔らかい表現を皆に求めているわけでもない。多少当事者との距離などポジションナリティを意識し、関わり方もダイナミックに修正してもらえればもっといいが、現場に来て、考えて、そして自分の考えを言葉にすることは、決して悪いことではなかった。
 
しかし、上述今まで積んできた思考とは別で、単純に、そして直感的に、マイナスな気持ちがその場で湧いた。そこですぐ思ったのは、自分は絶対に、マイクをとって喋らないことだった。ここは当事者が体験を語ることによって連帯する場であり、自分の理念主張で連帯する場ではない、ということを身体で感じたのだ。そして自分は「男として」「攻撃性のない」話ができる自信がない。
 
ヘテロ男性でない自分は、ヘテロ男性より「攻撃性の低い」話はできるだろう。それでも被害の経験を語った女性たちよりは「攻撃性がある」と思わざるを得ない。それは単純にカテゴリーで分けるのではなく、女性が性交渉の対象外ということで(極めて狭義的にいう)性暴力の直接加害者にならない、女々しいからいじめられた経験があるという意味では性被害を受けたと言えるかもしれないが、だからといって女性として性暴力を受けたことの重さはいつまでも完全に理解できないし、その日常生活の不安も完全に体験していない、という様々な経験と立ち位置から判断するものである。
女性は被害を受けた時だけではなくて常に性暴力の不安にさらされる、女性は男性よりも意見を否定される傾向があるから沈黙をさせられる、これらフェミニズムが女性の経験に基づいてまとめた「理論」でもあれば、一人ひとりが日常生活で感じうる身体のことでもあり、そこに還元できると思う。なんで飲み会のとき自動的に男性が開け閉め役をやるのか、なんでグループディスカッションの時女性の人数が多いのに男性ばかり喋っているのか、セクシャルマイノリティーでフェミニストとしてのアイデンティティを持つ自分は時々感じる。しかし無意識に自分が夜中の街を不安なく歩いたり、真剣で平等に聞いてくれると思って自分の意見主張を、自信を持って喋ったりしたほうが圧倒的に多い。それはこの社会構造が作った身体であり、変わりうるものでもあれば、ある程度実在するものである。このなかで、女性に対する性暴力に男性はどうやって連帯するのだろうか。

2019年7月14日 星期日

[沖繩]沖繩「研討會」與我不自在的身體(2019.7.14)

(臉書移動)

 
 昨天去參加國場幸太郎(*1)著作再版紀念研討會,會場比想像中大,初估大概有150人,放眼望去都是老人,一些北杯們穿著琉球民族自決權踢(如圖),偶爾聽到爽處就突然拍手,甚至大聲喊出自己的意見。現場幾乎沒有大致同齡或以下的年輕人(我環顧了超多次再次重申我沒有誇飾),唯一一位有點眼熟的小哥,我後來想起來他是用琉球語演戲的劇團「比嘉座」的新銳演員。
 
 常常跟身邊親友討論為什麼沖繩的研討會都沒有年輕人。所上老師開玩笑說,沖繩的研討會是給大家連帶的地方,知識性的討論通常進行不太順利,雖然可以理解但有時候蠻煩的。昨天的場合就讓我再次深深覺得(沒錯之前就有過很多次),沖繩的研討會就不是為我這種人的身體,不是為年輕人,當然更不是為外國人,或者更明白的說,是為了沖繩本地中老年男性的身體。
 
 第一位講者長元朝浩奉命簡介全島土地鬥爭在幹嘛,他在資料上列出很多很細的點,但他跟大家聊了很多天和前情提要,最後完全(真的是完全沒有誇飾)來不及講到全島土地鬥爭就下台了。
 
 第二位是超重量級講者新川明,有一點琉獨討論基礎的人一定聽過,他可以說是反回歸論最重要的,60年代一片,跟國場幸太郎頗有交情,兩頁的資料有兩百倍的份量可以講,低沈的嗓音時常不對準麥克風突然消音,比預計的時間多講了好幾十分鐘才終於多次催促的主辦方,我真的是沒聽多久就開始放空神遊
 
 短暫中場休息之後第三位講者中氣十足,接在新川明後面我本來想好欸我終於可以認真聽了,但他是一邊回顧自己的思想軌跡一邊討論跟國場幸太郎的相關點,夾雜了大量的時代梗跟政治梗,大家大笑的點我也只能尷尬陪笑。
 
 最後一個上台的是沖繩移民的二代Annmaria Shimabuku,現在在紐約大學當助理教授。老師的日文有可愛的美式口音,顯然不是從小跟上一代講,而是後來才學的,她的內容論點清晰,而且有投影片輔助,是整場我唯一抄得了筆記連得上所學的一段。
 
 對我而言這是很辛苦的四個小時,沒有論點的發表不僅意義有限,而且很難跟上。長元朝浩的段落講到土地運動裡其實是混雜著民生問題到思想上的反殖民,我一直隱隱覺得這些二手資料跟概念的堆疊沒有搔到癢處,反而聽島袋老師講很快吸收很有收穫;新川明的段落我很難在腦袋裡把內容連起來,或從裡面挖出寶藏(如果仔細聽裡面其實有很多寶藏,我都只聽到片段),一方面可能是我對國場幸太郎的認識有限,但一方面其實也是因為我不是活過那個年代的人。就這兩點,除去認真把檔案做完的研究者,恐怕沖繩本地的年輕人也有層層難關要突破,遑論是日文口音太重就聽不懂的廢物外國人。

 
 另外一個很有趣的身體感差異,是新川明講話的時候我一直努力督促自己不要打瞌睡,但環雇四周北杯們其實不太介意直接閉目養神,結果在意的只有我自己。北杯們安靜的聽,想睡就睡,跟旁邊志同道合(琉球認同強烈)的北杯們有一搭沒一搭的聊天,偶爾才大聲嚷嚷,其中不乏阿姨們,但性別比有些懸殊,中老年女性的身體跟北杯們佔有的空間其實並不相同,她們以看似無性別,實則以沖繩男性運動者為標準的身體活動著。
 
 換個角度想,其實是我們在特定的訓練裡習慣了某一種「狹義的研討會」,真的重要的背景才條列、重要的是論點、對主題沒有一定的熟悉程度就閉嘴不要提問浪費大家時間,才無法熟悉「他們的」參加方式,只能說這對我來說很像是去田野,而不是去聽研討會的內容(是小抱怨但絕對不是批評)。

 
 然而就像身邊反基地的同學親友提過無數次的,這個氛圍其實就是邊野古反基地運動的氛圍,絕對跟沖繩年輕人無法進入反基地運動有很大很大的關係。
 
(*1)國場幸太郎是沖繩50年代全島土地鬥爭的推手,對當時的政治經濟狀況進行分析,並對美軍抗爭指向回歸日本抱持疑問,後來因為路線問題跟瀨長龜次郎吵了架之後搬去日本生活。